旅の心像
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エスパーニャ(1972〜1973)

遠き昔の物語です


■ スペイン
遠き昔。そう、フランコ総督がまだ健在の頃、アンダルシア・セビージャで1年間を過ごす。当時はおじさん(「フランコ」という名前は使わない)と秘密警察と軍隊とカトリックの国と裏では言われたが治安はよく、殺人事件は年にあるかなしや、高速道路はまだない時代のエピソードです。
セビリア駅に着くなり家探し。運良く2人のセニョリータに周旋屋を紹介してもらい、セビリアでは高級に属す家賃だったが今でいう家具付き2LDKを賃借。大家が家具屋で度々無理をきいてもらい住み心地は良かった。
で取りあえず憧れのセビリア暮らしをスタート。

■ 銀行で口座を作る(マドリー)
当時はレート365円、日本からのお金の持ち出しはある額以上は銀行の小切手でした。小切手にはサインがなく印鑑。サインがないと相手は取り合わない。最後は日本の提携銀行の顔写真の本を持ち出し、誰だ!。とまあこんな具合で2時間。そこからが大変。滞在半年の証明書が必要だと承知の上でこんな大金持ち歩けないから口座をお願いと。「サイン問題」で少しは親密になっていたのか、粘りに粘って口座開設でした。

■ トレド
パリからマドリーに入り即トレドに。尋ねる人がいた。日本人画家ならここだといって案内してもらったのが別人。かずえさんという同年代の女性で画家。「トレドじゃ私の方が有名なの」といってペンションを紹介してもらう。彼女はその後イタリー、インドなどなど世界を放浪中。今はオランダかな。で本命の画家鴨居怜氏を尋ねる。その後1ヵ月余を朝から晩まで一緒に行動。

■ 必須の携帯非常食
トレドからマドりーへの列車で。ほんの短い距離なのに2時間ちかく途中で停止。周りのセニョリータ達は当たり前のようにカバンからパンとチーズや果物・ワインを取り出し宴会。お裾分けをたっぷり頂き、それ以後の旅では常に非常食として果物を持つようになった。

■ 列車とチップと服装
マドリーからセヴィリアへは列車「タルゴ」で。気分よく旅をするならそれなりの服装が重要と思い知る。ヨーロッパも含め「身なり」で判断されることが多く相手の身なりを見て対応が違う。ある時Tシャツとジーンズ姿で列車に乗ろうと行くと良くない席に案内される。そこはチップの使い方次第。
セヴィリアでの生活
地元者と旅行者の価格差
つり銭は厳格に、その習慣が大事に。
セマナサンタ
セヴィリアの春祭り
セヴィリアから週に1本、いや2本か、ポルトガルのリスボンまでバスが出ていた。
コルトバでの結婚式
カナダ人とアメリカ人のパーティー
階級意識
老舗ブティック
避暑はアグアドルーセ
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