旅の心像 |
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遠い昔の物語です
■ モロッコ スペイン・アルヘシラスでクリスマスを向かえ、タンジールへフェリーで渡る。そこらら10日間長くて短いドイツ人夫婦との4人旅の始まり。マラケシュまたはアガディール辺りまでと思っていたのが何とタンタンという最南端近くの村まで行ってしまった。ここまで来る日本人、まずはいないようでした。途中干しあがった石ころだらけの川を車で上流へ登ったのはいいが山中で迷子。ふと見上げると満天の星空。一面、星、星、星で埋め尽くされた光景が不安を吹き飛ばしてくれた。 |
■ 旅立ち アルヘシラスからフェリーでタンジールへ。船中でドイツ人の夫婦にエジプトで見かけたよといって声をかけられ、話す内に日本には万博(S45年)で行ったよと。俺も2日に1日は万博に行っていたなどと話が合い、マラケシュかアガデールまで一緒に行くことになった。我々はコルトバ近郊のアンテケラ・パレンシアーナ村での結婚式に出席し、3日間も足止めに合い(帰してくれない。村1台のタクシーも言い含められていて使えない。猛烈なスペイン語のシャワーを浴びながら飲めや踊れの毎日)やっとのことで解放され、村1台のタクシーでシェラネバダ山脈を越え、マラガまで脱出。ジプラルタルを見よう、そしてちょっとモロッコに渡ってみよう、との乗りであったが、旅行支度も無しのまま、何の準備もなく、フォルクスワーゲンでの10日間の旅となった。 |
■ 料理の名前と値段を知るにはどうしたら? Laracheを通りすぎた辺りの村のレストラン。旅行者がボラれる、それはあたりまえと心得よう。他の人の食べている料理を観察、これにしようと思った料理をその方に名前と値段を聞くのがポイント(高級レストランはちと無理ですが)。身振り手振りで通じるのがミソ。食事後、通りに出ると車はピカピカ。子供達が集まって来て「マネーマネー」の大合唱。うむ・・またもカルチャーショック。写真左はラクダとロバで畑を耕す。畑といっても石ころ交じりのただの土。右は遊牧生活のようで回りはテントの一群。洗濯のようだ。(タンジールからラバドまで5時間半)。 |
■ 旅の醍醐味は旧市街 ラバトやカサブランカの都市では「新市街」と「旧市街」のまったく違った顔がある。なんといっても旅の醍醐味は旧市街です。でも毎日続くとたまには新市街の近代ホテルで休息が必要かも。とはいっても大都市だけで通用する話。(ラバド---カサブランカ3時間) ■車の横を駆け抜ける一団 ラバトを南に下っていると、突然どこからともなく武装した集団が馬に乗り、車の横を駆け抜けて行った。初めは何の事か解らず襲われるのかと肝を冷やしたが、後で解ったことだがこの「シーン」は有名だそうで、ベドウィン族の一団、でこんなに身近で見る、いや感じられるのは幸運であった。(車中から撮影) |
■マラケシュに来た 旅行書を持たないとはいえ、「マラケシュ」と言う名は知っていた。バザールに面した広場前でホテルが見つかる。1ルーム、2ベット、鍵なし。大バザールの町らしく、モロッコはもちろんアフリカ各地からも来ているのかと思える民芸品や生活小物の数々。はじめはおっかなびっくりで歩くが慣れてくると値切り交渉が楽しめる。少なくとも黒光りした売り子は他国から来た人々であった。当時はまだ東洋人が珍しかったようでカメラを構えると人々が寄ってくる。回避策は現地の民族衣装を着用すべし。旅芸人の出し物や「水売り」など多種多様の人々の集まり。染めた毛糸を干しているのが焼けに目立った。そういえばパリでお世話になったモロッコ人が一枚1$(360円)でセーターを入れていたっけ。ちょっと外れた所にリゾートぽっい高級ホテルがある。今度来るなら・・・と思うが、車を操っての個人旅行が出来るかどうか、ちょっぴり自信がない。ドイツ人が一緒で良かった。ドイツ人といえばホテルの部屋が薄暗いとはいえ、シャワールームから素裸ででてきたのには驚いた(もちろん女性の方)。帰路で立ち寄った日がお正月でした。 |
■満天の星空 マラケシュからChichaouを経由しアガディールへ(6時間)。このChichaouからアガディールへのルートが問題だった。 |
■ 米軍の基地があった Tiznitから南下するとイフニーという村がある。イフニーは米軍基地の村。走りずめには非常食の果物が役に立ちバナナが美味しかった。非常食携帯の知恵は「マドリー〜トレド」間の列車2時間停止で学びました。グルーミンは帰りに寄ることにし素通り、一路タンタン(Tan-Tan)へ。 |
■ 砂漠で出会った芸人と「オテ」の価値観 イフニーからタンタンに向かう途中、旅芸人の一団に出会う。彼らは徒歩で何処かへ向かう。 |
■ タンタンという村 モロッコ最南端?の村。(正確にはこの先にパリダカの最終地?となった町がある)当時はヒッピーと密輸業者の溜まり場と化していた。もちろん日本製品もあった。何とか見つけた怪しげな雰囲気の宿泊所。用心の為、車のサイドミラーを外し、部屋に持ち込む。(経験で得た知恵です。)もちろん鍵ナシ。奇妙な歌声か祈りらしき声が止まない。用心の為部屋にある、なけなしのベットや家具を総動員し入口のドアにセット。真夜中心配していたことがやはり起こった。2時間格闘の末、退散。一時は体半分侵入されどうなることかと。もちろん電気はつかず、懐中電灯だけ。日本人はまず訪れることのない村でした。 |
■ ラクダ市の町グルーミン タンタンからグルーミン(Goulinmine)へ。ここはラクダの市で有名。タイミングよく市が開催されていた。ヘビ使いや水売りが出て賑やか。それはそうと民族衣装の利点を発見。周りの砂地を見渡すと多くのラクダ売りがしゃがんでいる光景が目に入る。何をしているのかと見ていると、それはおトイレでした。長い衣服で隠れてしまい、どこでもOKということです。ちなみに小石で清掃。あとは砂をかけて終了でした。途中ラクダの群れと遭遇。今にも車が踏み潰されるかと肝を冷やした。車に寄ってくるラクダ、何と大きいことか。 |
■ 砂漠のオアシス グルーミンで現地の少年に誘われ、砂漠の中のオアシス見物。道がないので案内人が不可欠。 |
■ 木に登るヒツジ AitBahaへ向かう途中で、噂に聞いていた木登りヤギ発見。 |
■ 通りすがりのピンクの村でお茶を頂く グルーミンからまたもアトラス山脈に入る厳しい道を選択、Tafraout経由でAit・Bahaに向かう。途中、ピンク色に染まった村を通りかかる。何ともいえない美しい村だった。この日はお祭りのようで村人達が集まっていた。女性は誰一人見かけなかったが子供たちはいた。お茶をご馳走になる。子供たちに手持ちの文房具類をプレゼント。ドイツ人は相変わらず「オテ」。 |
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■ 走っても走ってもアトラス山脈 マラケシュからAzrouを経由し古都フェズに向かう。走れども走れども延々とアトラス山中。たまにすれ違うのはボロボロの車だけ。ここでお邪魔虫のガソリンタンクが役に立つ。ここはアフリカだというのに途中より全面雪景色。Azrouからフェズへの道は雪のため通行止めだった。メクネスに向かうことにする。久しぶりにメクネス一の高級ホテルに泊まり、目一杯のおしゃれをし都会的レストランで食事をとる。何せ、あと2泊でセビージャに帰れると思うと・・・・・・。翌朝、雪景色の山間を抜け、フェズを観光、セウタへ向かう。 |
■ まるで映画のシーン 長くて短いモロッコの旅もいよいよ最終のシーン。ここはスペイン領セウタにあと一歩の入国税関の検査場での出来事。パスポートなどの書類検査と車のトランク検査が通常であるが、何と車のドアの内側のパネルをドライバーでこじ開ける始末。お陰で車内はバラバラにされ、検査官というばニヤツキながらの作業でした。得たいの知れないヤツと判断されたのか、単なる暇つぶしのイジメなのか、隣の高級スポーツカーはすんなり通れたというのに。チップのご利益を試す機会を見つけ出せず。セウタからカディス経由で我が住居のあるセビリアまでフォルクスワーゲンで送ってもらいました。end. |