旅の心像
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              モロッコ1974

遠い昔の物語です


■ モロッコ

スペイン・アルヘシラスでクリスマスを向かえ、タンジールへフェリーで渡る。そこらら10日間長くて短いドイツ人夫婦との4人旅の始まり。マラケシュまたはアガディール辺りまでと思っていたのが何とタンタンという最南端近くの村まで行ってしまった。ここまで来る日本人、まずはいないようでした。途中干しあがった石ころだらけの川を車で上流へ登ったのはいいが山中で迷子。ふと見上げると満天の星空。一面、星、星、星で埋め尽くされた光景が不安を吹き飛ばしてくれた。


フェリーのチケットアルヘシラスからタンジールフェリーのチケット、セウタからアルヘシラス"
モロッコ旅のルート地図
■ 旅立ち
海から見たアルヘシラス

アルヘシラスからフェリーでタンジールへ。船中でドイツ人の夫婦にエジプトで見かけたよといって声をかけられ、話す内に旅で使った車、フォルクスワーゲン日本には万博(S45年)で行ったよと。俺も2日に1日は万博に行っていたなどと話が合い、マラケシュかアガデールまで一緒に行くことになった。我々はコルトバ近郊のアンテケラ・パレンシアーナ村での結婚式に出席し、3日間も足止めに合い(帰してくれない。村1台のタクシーも言い含められていて使えない。猛烈なスペイン語のシャワーを浴びながら飲めや踊れの毎日)やっとのことで解放され、村1台のタクシーでシェラネバダ山脈を越え、マラガまで脱出。ジプラルタルを見よう、そしてちょっとモロッコに渡ってみよう、との乗りであったが、旅行支度も無しのまま、何の準備もなく、フォルクスワーゲンでの10日間の旅となった。
まずはマジックでデュセルドルフ---アガデール、我々は せびりあ---あがでぃーる と書き込み出発。後部座席にはガソリンを満タンにした予備タンクを3本。少し狭いが贅沢はいえない。(アルヘシラス---タンジール、フェリーで2時間半)


■ 料理の名前と値段を知るにはどうしたら?
ラクダとロバで畑を耕す

Laracheを通りすぎた辺りの村のレストラン。旅行者がボラれる、洗濯をする乙女それはあたりまえと心得よう。他の人の食べている料理を観察、これにしようと思った料理をその方に名前と値段を聞くのがポイント(高級レストランはちと無理ですが)。身振り手振りで通じるのがミソ。食事後、通りに出ると車はピカピカ。子供達が集まって来て「マネーマネー」の大合唱。うむ・・またもカルチャーショック。写真左はラクダとロバで畑を耕す。畑といっても石ころ交じりのただの土。右は遊牧生活のようで回りはテントの一群。洗濯のようだ。(タンジールからラバドまで5時間半)。


 旅の醍醐味は旧市街

ラバトやカサブランカの都市では「新市街」と「旧市街」のまったく違った顔がある。なんといっても旅の醍醐味は旧市街です。でも毎日続くとたまには新市街の近代ホテルで休息が必要かも。とはいっても大都市だけで通用する話。(ラバド---カサブランカ3時間)



車の横を駆け抜ける一団
馬に乗った武装集団

ラバトを南に下っていると、突然どこからともなく武装した集団が馬に乗り、車の横を駆け抜けて行った。初めは何の事か解らず襲われるのかと肝を冷やしたが、後で解ったことだがこの「シーン」は有名だそうで、ベドウィン族の一団、でこんなに身近で見る、いや感じられるのは幸運であった。(車中から撮影)
映画でお馴染みのカサブランカ。ホテルは新市街。食事は旧市街。カバブが美味い。ドイツ人夫婦は共に旧市街で頑張る。この町を過ぎると予約を入れない旅としてはいわゆる近代ホテルとはしばしのお別れである。(カサブランカ---マラケシュ3時間)


マラケシュに来たマラケシュ、市場の毛糸屋

旅行書を持たないとはいえ、「マラケシュ」と言う名は知っていた。バザールに面した広場マラケシュ、バザール前でホテルが見つかる。1マラケシュ、バザールの芸人ルーム、2ベット、鍵なし。大バザールの町らしく、モロッコはもちろんアフリカ各地からも来ているのかと思える民芸品や生活小物の数々。はじめはおっかなびっくりで歩くが慣れてくると値切り交渉が楽しめる。少なくとも黒光りした売り子は他国から来た人々であった。当時はまだ東洋人が珍しかマラケシュに入るったようでカメラを構えると人々が寄ってくる。回避策は現地の民族衣装を着用すべし。旅芸人の出し物や「水売り」など多種多様の人々の集まり。染めた毛糸を干しているのが焼けに目立った。そういえばパリでお世話になったモロッコ人が一枚1$(360円)でセーターを入れていたっけ。ちょっと外れた所にリゾートぽっい高級ホテルがある。今度来るなら・・・と思うが、車を操っての個人旅行が出来るかどうか、ちょっぴり自信がない。ドイツ人が一緒で良かった。ドイツ人といえばホテルの部屋が薄暗いとはいえ、シャワールームから素裸ででてきたのには驚いた(もちろん女性の方)。帰路で立ち寄った日がお正月でした。


満天の星空風景、空と土

マラケシュからChichaouを経由しアガディールへ(6時間)。このChichaouからアガディールへのルートが問題だった。
乾ききった石ころだらけの「川」を、車が悲鳴をあげるにもかかわらず、上流へ上流へとに進み、遂に日が落ちた。辺りは真っ暗闇で気がつけば山頂とは言わないまでもアトラス山脈の山中に入り込んでしまった。
アフリカとはいえ、1月の深夜は相当冷え込む。途方に暮れ、ふと上を見上げると一面が星の海。空にこんなにも星があるとはと改めて感激。全員、言葉を無くし不安を押しのけ、それぞれの思いに耽る。

アガディール
アガディールは昔地震で沈んだ町として知られ、今(当時)ではヨーロッパ人の避暑地として有名。ロバで牧草を運ぶ人
高台になった海辺にはヨーロッパ人の老夫婦がキャンピングカーでやってきて寝イスを並べ日向ぼっこをしていた。なんとおしゃれなことか(当時)。圧巻だったのは中型バスサイズのキャンピングカー。何と窓の位置が前から後ろに順次ずれ上がり、それぞれの窓から子供の顔が覗いていた。(この当時すでにそういう生活がこのモロッコにまで姿を現していた)そこから南下、今夜の宿はTiznit.。(2時間)


■ 米軍の基地があった

Tiznitから南下するとイフニーという村がある。イフニーは米軍基地の村。走りずめには非常食の果物が役に立ちバナナが美味しかった。非常食携帯の知恵は「マドリー〜トレド」間の列車2時間停止で学びました。グルーミンは帰りに寄ることにし素通り、一路タンタン(Tan-Tan)へ。


■ 砂漠で出会った芸人と「オテ」の価値観旅芸人1

イフニーからタンタンに向かう途中、旅芸人の一団に出会う。彼らは徒歩で何処かへ向かう。
車を止めると早速、芸の披露。明るく楽しい一団だった。さてお返しに我々は何を提供するのか。・・ということで彼らは食べ物を望んでいるようだ。そこでカルチャーショック発生!。
旅芸人2ドイツ人は何と「オテ」を求めたのだ。(「オテ」とは犬に対してよくやる動作)。彼らは「哀れみをもって恵む」がオテに繋がっていた。我々は「好意に対し好意で返す」だ。狩猟民族と農耕民族との歴史の違いか?。自己独立と助け合い文化の差か?。旅行を通じて感じたことの中には、厳しい環境下では「オテ精神」が有効な場合があることは知ったつもりだが、何もこの場面でそこまでしなくとも・・・・。


旅芸人3

■ タンタンという村
砂漠を走る

モロッコ最南端?の村。(正確にはこ砂漠を散歩の先にパリダカの最終地?となった町がある)当時はヒッピーと密輸業者の溜まり場と化していた。もちろん日本製品もあった。何とか見つけた怪しげな雰囲気の宿泊所。用心の為、車のサイドミラーを外し、部屋に持ち込む。(経験で得た知恵です。)もちろん鍵ナシ。奇妙な歌声か祈りらしき声が止まない。用心の為部屋にある、なけなしのベットや家具を総動員し入口のドアにセット。真夜中心配して休憩いたことがやはり起こった。2時間格闘砂漠の末、退散。一時は体半分侵入されどうなることかと。もちろん電気はつかず、懐中電灯だけ。日本人はまず訪れることのない村でした。
ここから南へは、4輪駆動でも最近帰ってこなかった人がいる、と忠告を受けながらも行って見たくなるのが我々でした。道なき砂漠を数十キロ南下。・・でリタイヤ、人命尊重と決心し引き返す。ところで上の写真のような「砂煙をあげて走る」なんていうのは普通の車じゃ、車中は砂だらけなのです。口の中にも容赦なく進入、というのが現実なのです。


■ ラクダ市の町グルーミン

タンタンからグルーミン(Goulinmine)へ。ここはラクダの市で有名。タイミングよく市が開催されていた。ヘビ使いや水売りが出て賑やか。それはそうと民族衣装の利点を発見。周りの砂地を見渡すと多くのラクダ売りがしゃがんでいる光景が目に入る。何をしているのかと見ていると、それはおトイレでした。長い衣服で隠れてしまい、どこでもOKということです。ちなみに小石で清掃。あとは砂をかけて終了でした。途中ラクダの群れと遭遇。今にも車が踏み潰されるかと肝を冷やした。車に寄ってくるラクダ、何と大きいことか。

ヘビ使いラクダ市ラクダ達

■ 砂漠のオアシス
オアシスの少年

グルーミンで現地の少年に誘われ、砂漠の中のオアシス見物。道がないので案内人が不可欠。
行き道遺跡は少々不安。(身包みを剥がされ、バイバイかもと)。
10Kmほど走るとオアシスが出現。交易の場らしく井戸と琥珀のネックレスから皮製品、金属製品などがあつた。そこではそれらの手作りの品々と我々の持ち物との物々交換であった。。履いていたサンダルと琥珀のネックレスとの交換を強請られ、魅力たっぷりの条件ではあるが履物ナシでは帰れないので諦める。もし再び訪れるなら衣料品を山ほど持ってきて民芸品と取り替えようと心に誓う。グルーミンからBouIzakam,Tiznit,Tafraout を経由、AitBahaへ。


■ 木に登るヒツジ

AitBahaへ向かう途中で、噂に聞いていた木登りヤギ発見。
木に登るヒツジ砂漠の中にポツポツ木に登るヒツジある木の上をよく見ると、何とヤギが登っている。嘘ではありません。じっくり右の写真を見てください。見渡す限り周りには食べるものがなく、若芽が唯一の食料。生きることって試練を乗り越えることですか。ねえ木に登る技術を持ったヒツジさん。・・と又も幸運に巡り合い、目撃。砂漠地帯ではヒツジ飼い、ラクダ飼い、それにどこにいくのか旅の芸人、皆喜ぶのが食料品でした。食料品といってもパンと果物ぐらいですが。


■ 通りすがりのピンクの村でお茶を頂く
ピンク色した村の儀式1

グルーミンからまたもアトラス山脈ピンク色した村の儀式2
に入る厳しい道を選択、Tafraout経由でAit・Bahaに向かう。途中、ピンク色に染まった村を通りかかる。何ともいえない美しい村だった。この日はお祭りのようで村人達が集まっていた。女性は誰一人見かけなかったが子供たちはいた。お茶をご馳走になる。子供たちに手持ちの文房具類をプレゼント。ドイツ人は相変わらず「オテ」。


■ 走っても走ってもアトラス山脈メクネス風景

マラケシュからAzrouを経由し古都フェズに向かう。走れども走れども延々とアトラス山中。たまにすれ違うのはボロボロの車だけ。ここでお邪魔虫のガソリンタンクが役に立つ。ここはアフリカだというのに途中より全面雪景色。Azrouからフェズへの道は雪のため通行止めだった。メクネスに向かうことにする。久しぶりにメクネス一の高級ホテルに泊まり、目一杯のおしゃれをし都会的レストランで食事をとる。何せ、あと2泊でセビージャに帰れると思うと・・・・・・。翌朝、雪景色の山間を抜け、フェズを観光、セウタへ向かう。


■ まるで映画のシーン

長くて短いモロッコの旅もいよいよ最終のシーン。ここはスペイン領セウタにあと一歩の入国税関の検査場での出来事。パスポートなどの書類検査と車のトランク検査が通常であるが、何と車のドアの内側のパネルをドライバーでこじ開ける始末。お陰で車内はバラバラにされ、検査官というばニヤツキながらの作業でした。得たいの知れないヤツと判断されたのか、単なる暇つぶしのイジメなのか、隣の高級スポーツカーはすんなり通れたというのに。チップのご利益を試す機会を見つけ出せず。セウタからカディス経由で我が住居のあるセビリアまでフォルクスワーゲンで送ってもらいました。end.









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